2016/06/15

大きな事件が起きたときに分かること

悲しい事件が起きたことを知り、夜中になってもネットで配信されているニュースを追っかけていた。なかなか寝付けない。カムアウトしているノンケの友達とLINEでメッセージを送りあった。彼はとてもいいやつだが、俺のこの複雑な悲しみは理解できない。(それは彼の責任ではない。)

誰かと話したかった。が、今の自分にはそんな話ができる友達が一人もいないことに気付いた。それで、誰かと話すかわりに、ネットでこの事件を話題にしているツイッターアカウントを覗いたりした。この事件を悲しんでいるアカウントを覗き、共感し、自分も同じ悲しみに浸りたかった。一種の代替行為だ。

そんな時、分かることがある。

性的少数者の問題は、ややこしい。当事者である自分でさえ、そう思う。当事者がみんな違うことを言う。連帯や共闘ができない。特にここ日本では。例えば、選挙でも投票する相手がみんな違う。

なぜか。

答えはないが、ひとつ推測できるのは、個々人が経験してきたこと、それへの対処法、またそれらによって身についた価値観がバラバラであることだ。みんな、「自分なり」にやり過ごしてきたのだ。

今まではそれで何とかなったんだろう。けれども、これから先もそうだろうか?(待てよ、今までも「何とかならなかった」ことってあったんじゃないだろうか?)

今回のような大きな事件が起こると、それへのリアクションで、一人ひとりのもつ価値観が炙りだされる。足の引っ張り合いさえ起こってしまう。「あいつは何てことを言うんだ」とか。

そういうのも、よく見ておこうと思う。悲しくても。


追記: 事件の犠牲者やその家族への募金を募っているところを見つけました。下記のリンク先から可能です。どうぞご検討ください。
https://www.gofundme.com/PulseVictimsFund