2016/05/18

テラ・ヌリウス:ナショナリストになる方法


昨日、いわゆる尖閣諸島に関するドキュメンタリー映画を観ました。
日本中国台湾、各国のナショナリストたちが尖閣諸島にアプローチするさまを撮影。監督は彼らの船に乗り、一緒に尖閣諸島を目指します。つまり、監督は計3回も船で尖閣諸島へ赴いていることになります。監督は船酔いするひとらしいのに頑張った。

この79分の映画を観て、私は何か分かったか? いいえ、分からなかった。
監督は何を伝えたかったのだろうか? さあ、分からない。

この映画が上映されたのと同じ建物で、現代美術の展覧会がありました。予定より早く会場に着いたので、上映前の空き時間でその展覧会を見てまわりました(無料だったし)。物体が置いてあり、プロジェクターやテレビが何かの映像を流していた。でも、もってまわったような思わせぶりや、意味ありげな目配せはない。何かしらの主張らしきものもない。ただ、モノがあって、映像があるだけ。ずいぶん素っ気ないなーと思ったけれども。

もうそういう事になってきたのかな、とも思った。
即物的な時代。おそらく、コンセプトすらもう必要ないのだ。装飾を排すのではなく、最初から装飾する気がない。彼等は云うだろう、「なんで?」と。「なんでそんなもんが必要なの?」さあ、私にも分からない。
分からせてくれるものが欲しければ、週刊誌や新書を買えばいい。賛同が欲しければSNSを覗けばいいし、カタルシスを得たければハリウッド映画でも見たらいい。それはそうだ。そうなんだけれども。

ということで、今の時代、ドキュメンタリーにも期待しすぎてはいけない。わかりやすく結論を導いてくれるドキュメンタリーも、撮影者の主張に沿う形にズタズタに編集された「ドキュメンタリー」 も、もういらないってことですかね。昨日観た映画はそんなんではなかったので、その旨皆様に報告します。自分の頭で考えろってことですね。


↑なんかおどろおどろしい音楽がついてるけど、本篇は淡々としていました。

2016/05/14

Mike Kelley "Day Is Done"


イメージフォーラム・フェスティバルで上映があったので、観てきました。面白いのに眠気に襲われるというおかしな体験。チャカチャカチャカ、フーーフー。素材集から取ってきたような音が気になっチャカチャカチャカ、フーーフー。もうそういう時代なのだよねと今更感慨にふける。チャカチャカチャカ、フーーフー。芸術作品といえど音をイチから手作りとかしないんだよねー効率って大事だもんねっていうあたりなんかアメリカっぽいのかなぁなどと、あチャカチャカチャカ、フーーフー。